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 高耶は直江の左手が好きだ。
 決して消えることのない傷跡がそこにはある。
 そして、情事の時も左手のほうが活躍する。
 右手はよく高耶の両の手を押さえたり、脚を押さえたりするのに使われる。
「何です」
 前触れなく、高耶は直江の右手を掴んだ。
 なんとなく右手がかわいそうに思えてきて、その手の甲にキスを落とした。
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 沙織は、自室の姿見の前で悩んでいた。
(何がいけないのかなあ?鼻?あご?)
 精一杯の笑顔を作ってみる。
(目と口はまあまあだと思うんだけどなあ……)
 譲の目をひくような美人になりたいと、沙織は切に願っていた。
(そういえば、成田くんの好みのタイプってどんなだろう?)
 考え始めてしまうと、気になってしょうがない。
 次の日沙織は早起きをして、譲と同じバスに乗り込む作戦に出た。
 本当は毎日一緒に通いたいところだが、毎日じゃないところが沙織としてはポイントなのだ。
 たまに一緒になって、どきっとしてもらうところがいいのだ、と思っている。
「成田くんっ、おはよっ」
「おはよう、森野さん。今日は早いんだね」
「うんっ、そうなのっ」
 自分の普段の登校時間を把握してくれてるだけでも、沙織にとっては嬉しい。
「成田くんてさ、好きな芸能人とかいるの?」
「うん、いるよ。シーバとか結構聴くよ」
「えっと、そうじゃなくって、女優さんとかグラビアアイドルとか……」
「ああ、そういうの、うといからなあ。けどあのCMでてる人はきれいだなあって思うよ」
 譲は飲料水の名前を挙げた。
「へえ、じゃあ彼女にするならああいうタイプの人がいいんだね 」
「うーんどうだろう?それは違うかな。たぶん、好きになった人がタイプになると思うから」
(す、好きになった人がタイプ……)
「どうして?」
「あ、うん、いいんだ。何でもないの」
 あまりにも譲らしい答えで嬉しいのと、でも目指すべき目標を知ることができなかったから、沙織はなんともいえない複雑な表情を浮かべた。

(成田くんのおめめはきれーだなあ)
 最近の沙織には週に二時間、至福の時間があった。
 美術の時間に二人一組になってお互いの顔を描きあうというテーマがあり、まわりの取り計らいもあって沙織は譲と組めたのだ。
「森野さんって、瞳がすごくきれいだよね」
「………えええっ?」
 突然そう言われて、沙織はパニクってしまう。
「そ、そうでしょ?口も結構いけてると思うんだけどっ」
 あまり浮かれすぎてもいけない気がして、笑いに持ち込もうと唇を尖らせて見せた。
 すると譲は、
「あはは、そうだね。セクシーだよ」
と、笑った。
(せ、せくしーっ??)
 逆にまともに顔が見られなくなってしまう沙織なのだった。

「沙織さん?」
 突然現れた直江に声をかけられて、沙織は内心悲鳴をあげた。
(ひいいいいいっ!名前覚えられてるし!)
「おひとりですか?」
 今日は夏祭りだ。
 両側に露店の並ぶ人ごみの道中に、沙織はひとりで立っていた。
「は、はい、友達が先に帰っちゃって……」
 というのは嘘で、譲をみかけた気がしたから友達を放りだして追いかけてきたのだ。
 結局、見失ってしまったけれど。
「え──…と」
 人ごみから頭ひとつ出ている直江はきょろきょろとあたりを見回して、
「あ」
 目当ての夜店でも発見したのだろうか。
(背が高いってこういうとき便利なのねー)
「よかったら、金魚すくいでもどうですか」
 笑顔で誘われて、断る理由はない。
「え、ええっもちろんっ」
 譲も探したいが、直江と歩くのもちょっと魅力的だと思ってしまった。
(成田くんっごめんっ)
 自分の浮気心を譲に詫びて、直江の後についていこうとすると、
「あちらです」
 直江は沙織を庇いながら、さりげなくエスコートしてくれた。
(くうぅ、レディになった気分!)
 同級生の男子にはありえない気配りだ。
 特に仰木高耶あたりは、きっと自分だけさっさと歩いていってしまうだろう。
 金魚すくいの屋台が見えてきて、そこには見覚えのある顔がふたつあった。
 譲と高耶だ。
「直江………と、森野?」
 高耶は不思議な取り合わせに驚いているようだ。
「成田くんっ!とおまけのおーぎくん」
「なーんだよ、おまけって」
 いがみ合うふたりの横で直江と譲は挨拶を交わしている。
「こんばんわ、直江さん」
「大漁ですね」
「高耶がムキになっちゃって」
 譲の手には金魚の入った袋がみっつもぶらさがっていた。
「森野さん、よかったらひとつ、どう?」
「ええっいいの?」
(絶対に死なせらんないっ♪)
 歓喜する沙織の様子をじっと見つめていた直江が、思いついたように言う。
「高耶さん、ちょっと話があるんですけど」
「へ?今?」
 直江が意味ありげに目配せをすると、高耶ははあん、と頷いた。
「しょーがねーな、譲。戻ってこれねぇかもしんないから、わりぃけど先かえって」
「ええぇっ?高耶ってばなに、急に!」
「すみません、譲さん」
 では行きましょうか、と直江は高耶を連れ去っていった。
「なんだよ~せっかくのお祭りなのに」
 悲しげに眉をひそめた譲は沙織に向き直った。
「森野さん、もう帰っちゃう?よかったら一緒にまわらない?」
 こくっこくっと声も出せずに沙織は頷いた。
(ナオエさんっ!おーぎくんっ!ありがとうっ!!!)
 沙織にとって史上最高の夏祭りになったことはいうまでもない。

「もうひとりオレがいればいいのに」
 明日の作戦にそなえて朝から働き通しの高耶がそう漏らすと、隣にいた潮が笑った。
「仰木高耶影武者計画?すげーたのしそー」
「どっちかっていうと分身術開発計画だな」
 仕事を任せるのなら自分と同等の能力を持っていなければ意味が無い。
「中川なら分身薬とか平気で作りそうだなー」
「古武術の技の中に分身術はないのか」
「んなもんあるかっ!……いや、待てよ。確か岩田が秘伝書があるとかないとか……」
 そんな軽口を叩いていると。
「よしてください」
 移送用の書類を渡しに来た直江がそう言った。
 何のことかと眼で問うと、
「ふたり同時に相手なんて出来ませんよ」
とだけ言い残して去っていく。
「どういう意味だ?」
 他意無く訊いてくる潮を、高耶は無言でやり過ごした。
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