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 流れ者。昔からそういう人間はたくさんいた。
 都会には無宿人連中を受け入れるコミュニティが必ずあって、それなりの勢力を築いていたものだ。
「おう、リュウちゃん」
「ミツオさん!久しぶりやなあ!」
 とある河川敷。
 白いひげを顔中に生やした初老の男性と黒ずんだジャージ姿の中年男性が、親しげに会話を始めている。
 こういった宿無し連中は、いまや勢力どころかまともな権利を持つことさえ許されてはいないけれど、皆社会性を失うことなくきちんと生活している。
 所詮、人は独りでは生きられない。
 自分は、そのことを誰よりもよく知っている。
 老人と中年男性の会話は近況報告から始まって世間話に至るまで、かなり長い間続いていたが、そのうちに老人の方が自分のほうへと興味を示した。
「あの子はずっとあそこにおるなあ」
 それを慌てて男性が引きとめる。
「やめときって」
「ええ?なんで?」
「こないだムラタさんがあの子に声かけよったら、ムラタさん、しばらく吐気が収まらんかったらしいで」
 一応声を潜めてはいるものの、地声がお大きいせいか殆ど丸聞こえだ。
「ヨシさんなんてあの眼帯の下の目ぇ見ただけで、そのあと一週間も寝込んだんやて」
 なんでもな、と更に声が小さくなる。
「赤い眼やったとか」
「へえ………」
 背中を、ぞわぞわと嫌な感じが襲った。
 身体から溢れ出そうになる感情を、ぎゅっと抑え込む。
(わかってる)
 鬼八。おまえの気持ちはよく分かってる。
 悪いのはおまえじゃない。
 おまえは家族を、仲間を護りたかっただけだ。
 愛するひとを、その手に抱いていたかっただけだ。
 言いたいことは、ちゃんとわかってる。
 オレだって、親だと思っていた人のいいつけを守って、必死に生きてきただけなんだ。
 四百年も、バカみたいに。
 なのになんでだろう?
 どうしてこうなってしまったんだろう?
 二人の男性の、奇異なものをみるような視線が痛い。
 何故いま、オレはひとりなんだろう?
 何故、あの男が傍にいないんだろう?
 見上げた空には、雲が一筋だけ浮かんでいる。
 きっと、今夜も晴れるのだろう。
 都会の空でも、月だけはよくみえる。
(鬼八。お前が亡き故郷を想って啼くのなら)
 今夜は自分も、もう二度とこの手には戻らないものを想おう。
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 拷問者にも、様々なタイプがいる。
 目的のために、最適の手段を選ぶことのできる拷問のプロフェッショナル。
 目的などどうでもいい、暴力行為自体を楽しむだけの単なるサディスト。
 そして圧倒的な多数派は、自分の恨みつらみを理不尽にぶつけてきたり、上からの命令だからと中途半端な行為だけで終わってしまうアマチュアたちだ。
 草間清兵衛は、アマチュア中のアマチュアだった。
 始めてすぐに手段は目的化してしまい、今ではただ高耶を痛めつけて自身の感情を発散させるためだけに、毎日地下まで降りてきた。
 しかも他者の、死者全ての意見を代弁しているのだという確信犯的要素もそこには含まれていて、行為自体も過酷なものが多かった。
「………ッ!……アアッ!」
 拷問と言うのは本来、苦痛によって心を折り、相手に要求をのませることが目的のはずだ。
 だとしたら、自分の心はもうとっくに折れていると思う。
 自分にはもう、守るべきものがなくなってしまった。
 知っていることは全て喋ってしまえばいいし、こんな馬鹿げたことに付き合う必要もない。
 けれど"何か"が、高耶の口を開かせなかった。
 そしてきっと、その"何か"が、いつだって自分の根核を担ってきた。
 いつだって。
(さっさと捨ててしまえばいい───ッ)
「アアアアア……ッ!!」
 草間の行為が、常に思考を中断させる。
 痛みを感じると、全身の筋肉は疲れ果てていてもなお、強張ろうとするものだ。
(………アノ時みたいだ)
 まるで、もう無理だと言っているのにあの男があきらめないとき。
 最中に意識を失ってしまい、気がつくと朝だったことが何度あっただろう。
(あれは拷問の一種だったんだな)
 そう考え付いて、思わず笑ってしまった。
 とはいえ、もちろん笑い声は出ない。
 顔にだって、表情を浮かべる気力がない。
 けれど、長い時間ずっと向き合っている草間にはわかったのだろう。
「何がおかしい?」
 苛々とした口調でそう言われた。
「いったい、何がおかしい!?」
 答えないでいると、更に過酷な苦痛が与えられる。
「ウワアアアアアアッッ!!」
「変人め……ッッ!!」
 確かに、そのとおりだ。
 自分はもう、気がおかしくなっていると思う。
 なっていないというのなら、さっさとおかしくなってしまいたい。
「例え貴様が亡命を願い出よったところで、絶対に認めん……っ!」
 亡命?
 おかしな言い方だけど、そうだな、出来るものならしてみたい。
 何もかもを放り出して、さっさとこの世から、ドロップアウトしてしまいたい。

 信長のやり方が憎かった。
 力があるのをいいことに、弱者を力でねじ伏せ、面白半分に痛めつける。
 正しく在ろうなどとは考えもしない、まるで力そのものが正義かのような振る舞いは、決して許すことなど出来ない。
 そしてそれは、何も信長に限ったことではなかった。
 ひとりの人間の誤った判断が、巡り巡ってとてつもない惨劇を引き起こす様を、自分は幾度も目撃してきた。
 大抵、そういう人間は大義名分を振りかざす。
 信念に基づいて引き起こされたはずの行動が、人々の生活を破壊し、当たり前にあるはずの幸福を破壊し、期待に満ちていた未来までをも破壊してしまうことが、何度あっただろう。

───その逆もまたあったはず。

 確かに、そうかもしれない。
 ひとりの人間が起こす奇跡も数多くあった。
 しかし歴史は繰り返す。
 また必ず現れるはずなのだ。
 "為正の破壊者"。
 それが、自分でないと何故言える?
 きっと今の自分は、誰の賛同も得られない。
 この世界の道理が、自分の意図にそぐわないから破壊する。
 これでは信長と何も変わらないじゃないか。

───何のために破壊するのかを考えて。

 何のために?
 ……それは、無力でただ涙を流すことしか出来ない者たちのために。
 彼らに、力あるものに負けない"チカラ"を与えるために。

───あなたのチカラはそのためのチカラ。

 ………その通り。
 そうなんだ。
 自分の力はその為にこそあったはず。
 だから、罪悪感など感じてはいられない。
 この瞬間にも、救われない魂が悲鳴をあげながら生まれている。
 迷っている暇なんかない。
 罪を、未来を、恐れる自分の弱い心を。
 いま、破壊する。

 反逆、だ。
 この世の理への。
 社会的なルールへの。
 空海や謙信が護ろうとした世界への。
 ───生者への。
「"反逆"の定義を教えてください」
「……大きなチカラに、歯向かうこと」
「ならば私も、大反逆者ですね」
 直江は瞳を伏せて言った。
「私は常に、あなたに逆らってきた」
───……」
 それを聞いて、ふと考えが変わった。
「なあ」
「はい」
「だったら、歯向かうことがイコール敵にはならないのかもしれない」
「?」
「オレがおまえを想うみたいに、いつかオレを受け入れてくれる人が現れるかもしれない」
 直江は傷ついたような顔になって、高耶に手を伸ばした。
「現に、いるでしょう」
 大きな腕で、力強く抱きしめられる。
「誰もがあなたを否定しているわけじゃない」
 ……それは別にいい。否定されたって、構わない。
 自分の意図をきちんと理解したうえで否定されたのなら、仕方がない。
 ただ───
「理解されたいのは、お互い様なんだ、きっと」
 反逆する側もされる側も、相手を否定したいわけじゃない。
 自分が自分として在ることを相手に認めて貰いたいんだ、きっと。
 そう、話したら、
「あなたが理解すべき相手も」
 直江は身体を離した。
「あなたを理解すべき相手も、俺だけでいい」
「直江」
「他人も、世界も、どうだっていい」
 変わらない直江のいつもの調子に、高耶は思わず笑みをこぼした。

 自分こそが正しいのだと証明して見せた者を勝者と呼ぶのなら、
 敗者とは、相手こそが正しいのだと思い知ってしまった者。
 ならばオレは、真の意味で敗者であったことはなかったかもしれない。
 そのせいだろうか。
 オレは決して"いい勝者"ではいなかった。
 理想から、程遠い在り方でしかいられなかった。

 けれどおまえは違う。
 おまえなら、オレとは違った"勝者"で在れるはず。
 否定された者たちに対しておまえが抱く想いはきっと、
 優越感とも同情とも共感とも違う、おまえにしか持てない何かであるはずだ。

 今から、おまえの歩む道は勝者の道。
 おまえの永劫を嗤う者は、全員敗者となるだろう。
 おまえの歩むその道が、正しい勝者の道であるように。
 真摯で強情で寛容な、おまえらしい道であるように。
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